【スージー・ムラカミ/NB】ブラジルと日本の外交関係は、1895年の修好通商航海条約調印から始まり、日伯両国は相手国内に公使館を開設した。在伯公使館については、リオ・デ・ジャネイロ市郊外のペトロポリスにあ
ったということ以外、長い間くわしいことが分かっていなかったが、このたび、公使館の所在がブラジル在住35年の安見清さんの調査によって発見された。
発見された住所は、ペトロポリスの中心街である4月7日通り21番地にあ
ることが当時の文書によって確認されているが、番地変更があり、現在は609番地となっている。現在、建物は閉鎖されており、損傷が激しく、売りに出されている。市の条例により、歴史的建造物の解体は禁止されている。
日本で三菱重工の技師だった安見さんは、ペトロポリスにある煙管ボイラー会社のブラジル支社長として勤務していたが、定年を迎えた後もその地に住み続けた。安見さんは、ブラジルに赴いた当初、在伯日本公使館がペトロポリスに置かれたのは間違いだったと多くの人が言ってたのを聞き、疑問を持った。というのも、ブラジル政府は夏の暑い時期だけ主要政治機関を涼しいこの地に設置しており、日本人もここがブラジルの首都だと考えたというのであ
る。「本当に間違いによってここに公使館が建設されたのか?私は疑問を抱き続けましたが、どのように調べるかは見当もつきませんでした」と安見さんは話す。
古くから貴族や政府高官の避暑地として有名な同地に、当時のブラジル政府は毎年夏の暑い盛りをこの地で過ごす風習があ
り、政府高官から各国大使に至るまで、多くのVIPがここに別邸を持って、夏には大移動してきた。その事は政府の機密として他には知らされなかったのであ
る。
安見さんの調査は、リオデジャネイロ日伯文化協会の求めにより約5年前から始められた。ペトロポリスのカトリック大学の歴史学者から公使館の場所が記された文書が存在するという情報を得て調べたが、先述の通り4月7日通りの21番地は現在存在しておらず、そこで調査は頓挫してしまった。
しかし2006年にリオデジャネイロ・ブラジル日本百周年記念式典委員会とブラジル日本文化交流年委員会が、本の出版を企画し、安見さんにリオデジャネイロの日本移民の歴史の一部を書いて欲しいと依頼、調査が再開された。
妻の助けもあった。図書館へ何度も足を運び、市立図書館の歴史資料課の支援も得て見つかったのが、1902年から1903年にかけて出版された雑誌に掲載されたホテルの写真だった。現在はノッサ・セニョーラ・デ・ルルデス修道院となているホテルの写真は、4月7日通りの23番地にあ
り、隣には21番の数字が見えた。この住所は当時刊行された他の雑誌「トラディソン」でも確認することができ、その雑誌には当時の日本ブラジル公使として活躍した堀口九萬一氏の名前も残されていた。あ
る新聞ではさらに古い記事が見つかった。「1897年8月24、25日、初代公使珍田捨巳(ちんだ・すてみ)とその一行が着任」という見出しの記事だ。
現在、敷地面積1200平方メートル、建物面積250平方メートルを持つ日本公使館跡は45万レアルで売りに出されている。建物の損傷は著しいと安見さんは言う。
2008年1月11日、6月に行われた日本祭りを開催するため、安見清さんを代表としてペトロポリス日伯協会が設立された。同地には約300人の日系人が暮らしており、安見さんは個人的な調査で160人を確認したという。