【シンチア・ユミ/NB】ブラジル日本移民百周年を迎えた今年、2人の現代造形作家が活躍している。創りあ
げた作品はもちろん、彼らの芸術に対する深い情熱とブラジル現代美術界に寄与した功績は賞賛に値するだろう。大竹富江さんは、記念すべき機会に3つの新たな彫像を製作、「彫刻の芸術家」と呼ばれる豊田豊さんは11の作品を完成させた。
大竹さん(94)は日本の古都京都府出身。材木商の家に生まれ、六人兄弟の末っ子で一人娘だ。23歳で兄を頼りブラジルに渡り、結婚した。しばらくは家庭に専念し、芸術の世界に足を踏み入れたのは40歳のときだった。その後1968年、ブラジルに帰化、既定にとらわれない抽象美術や鮮やかな色合いを中心とした作品を生み出していった。英国、米国、イタリア、プエルトリコなど、国内外で行われた数々の展覧会に出品するうちに作品が高く評価されるようになり、大竹さん独自の世界も認められた。
ブラジルでの創作活動は絵画だけに止まらなかった。創作を彫刻まで広げ、今日では、大竹さんが作成した彫像は国内27作品に上り、人々の目を楽しませている。
大竹さんが百周年記念プロジェクトとして製作したのは3作品。サントス市ジョゼ・メニーノ地区にあ
るモニュメントは、高さ15メートル、総重量60トンの鉄鋼で作られており、6月に行われた除幕式には皇太子さまも出席された。
残り2作品は、グアルーリョス市にある。一つは重さ20トンの赤い彫像で、グアルーリョス国際空港に設置された。もう一つはグアルーリョス下水処理場に設置された縦17メートル、幅60メートルのパネルで、青く塗られた鉄鋼管で構成されていて、重さは7・5トンあ
る。
豊田豊さん(77)は、移民百周年を迎える今年、意欲的に活動した芸術家の1人といえるだろう。豊田さんが製作した11の彫像はサンパウロやサンパウロ郊外の都市、ミナスジェライス州、パラナ州に広がる。そのうちの7つはサンパウロ州レジストロ市に設置されている。同市の作品は現在使われていない古い精米機やお茶の製造機械の部品を再利用された。「製作は古い機械やくず鉄をリサイクルするということで何カ月もかかり、記念すべき年に日系の方々だけでなく、ブラジルという国に少しでも恩返し出来ればと思い製作にあ
たりました」と豊田さんは話す。
パラナ州ロンドリーナ市にも百周年記念モニュメントの製作のため、数カ月滞在した。この記念モニュメントは、ブラジルの未来と日系の歴史を模したもので、高さは23メートルに及ぶ。昨年亡くなった最後の笠戸丸移民生存者、中川トミさんの名前が付けられた公園に設置され、6月に行われた除幕式には皇太子さまも出席された。土台には日本の富士山から取り寄せた石が使われている。
サンパウロ州バストス市やミナスジェライス州サンゴタルド市、サンパウロ州アルジャー市にあ
るニッポンカントリークラブでも豊田さんの作品を見ることができる。「ブラジル日本移民百周年という特別な年に記念モニュメントを製作できるのは、大変な栄誉だと受け止めています。製作には深い愛情を注ぎました」と豊田さんは語った。豊田さんは山形県出身で、1971年にブラジルに帰化している。
ブラジルに拠点を置く以前、豊田さんはイタリアのミラノに住んだ経験を持つ。そこで空間派という表現方法を用いたのに賛同し、その後の作品に多大な影響を受けたという。現在では数カ国に豊田さんの作品があ
るが、日本もそのうちのひとつで北海道、静岡、東京、岐阜でもみることができる。その中でも1995年のブラジル日本友好百周年において横浜のみなとみらい広場に設置された作品は、豊田さんにも深い意味を持つという。