初の日系ブラジル人プロゴルファー、日本で奮闘中
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日本で奮闘中のプリシラ選手
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【ipcdigital.com/ヴィトル・オガワ】
自身の優れた能力をさらに磨き、発揮するために海外に飛び出すアスリートがいる。野球のエンリケ・タマキ、陸上のジャデル・ゴレゴーリオなどが有名だ。そしてブラジルは新たな原石を日本のプロゴルフ界に送り出した。彼女の名前はマリア・プリシラ・イイダ(サンパウロ出身)である。彼女は現在、愛知県豊川市に住んでいる。
プリシラは5歳の頃からゴルフに慣れ親しんできた。当時彼女の父親が当地の日本企業で働いていたこともあり、いつも姉と一緒にアルジャーゴルフクラブに連れてきていたという。「ゴルフ場が私たちの遊び場でした。最初はただの遊びでしたが、そのうちジュニア、アマチュアとカテゴリーが上がっていくうちにどんどん真剣になっていったのです」とプリシラさんは語る。
そんなプリシラさんに大きな影響を及ぼしたのは姉だった。「姉は国際ゴルフコンペでプレーしていたので、私たち家族は付き添いのためによく同行していました。初めは第一線でプレーしている選手たちとその雰囲気に圧倒されましたが、次第に強く憧れるようになりました。その国を代表して試合に臨む心地よい緊張感がそこにはありました」。プリシラさんは代表に辿り着くために技術を磨くべく大変な努力をした。そしてついにブラジル連邦カップで優勝を成し遂げたのだった。
ゴルフの練習と並行してプリシラさんは、グアルーリョス大学(サンパウロ)で物理療法学を学んだ。大学卒業後、プリシラさんの両親は物理療法の仕事に就くのか、ゴルフを取るのか人生の選択を促した。「私はその時ランキングでかなり上位にいて、米国へ行ける可能性に賭け、ゴルフを選びました」と当時を回想する。
プリシラさんは米国プロゴルファー協会参加のフューチャーズツアーに参加し、1勝を挙げ、2004年の全大会出場権を獲得した。当時をプリシラさんはこう説明する。「4つの大会に出場しました。そこでアルジャーゴルフクラブの元経営者らに会い、彼らがある日本企業のブラジル支社長で、現在は私のスポンサーでもある大沢勇四郎氏を紹介してくれたのです」。
プリシラさんが参加する予定だった大会直前、2人は一緒にゴルフをしながら語り合った。そして大沢氏はプリシラさんの援助をすることを申し出た。「大沢さんの企業の本社が大きな影響力を持つゴルフクラブを持っていると言いました。そして大沢さんは、私にそのゴルフクラブで働きながら練習をしたらどうだと勧めてくれたのです。それはプロテスト合格を目指していた私には、この上ない申し出でした」。
日本に行くことは、自分がゴルフをしていく上でプラスになるとプリシラさんは考えた。4つの大会で好成績を残せなかったためだ。結果を追い求め努力している間は、すべてを投げ出すことはしたくなかったという。「私が日本に住むなんて想像もしませんでした。でもこの大きなチャンスを逃したくなかったのです」。
彼女がゴルフの練習場で働くのは相当な困難があったようだ。まず最初に言葉の問題。「私が日本語を話せるようになるなんて、考えもしませんでした」と言う。日本のテレビ番組もさっぱり内容が分からなかったようだ。そこでプリシラさんは英語で意思を伝えようとしたが、そこに住んでいた人たちはほとんど英語を解さなかったため、基礎的な日本語を勉強し、会話出来るよう現在もゴルフの練習と共に奮闘中だ。