勝ち組と負け組
[エリカ・コバヤシ]
第2次世界大戦の終結が日本の歴史の分起点となったように、ブラジルで生活する日本移民も大きな転換期を迎えた。
戦中、養蚕(ようさん)と薄荷(はっか)生産がアメリカの軍事物資に利用されているとして、養蚕小屋と薄荷畑の焼き討ち、破壊活動が一部の日本人によって行われていた。戦前から続く敵性国民としての抑圧も原因のひとつだった。
事態が悪化したのは終戦後、日本が連合国に降伏してからだ。これによって日本再建の為に、アメリカ軍が日本を占領下に収めることになった。一方ブラジルでは、エウリコ・ガスパル・ドゥットラ大統領によって再民主化が進められていた。そして、当時、ブラジルにいたおよそ20万人の日本人は、日本敗戦を認める「負け組」と日本の不敗を信じた「勝ち組」の2派に分かれていた。
徹底した日本国粋主義を持つ「勝ち組」は、ブラジルに有利な物資生産のボイコット、さらに第二次世界大戦における日本優勢のデマニュ−スを流した。なによりも日本の勝利を主張した。
この運動をリードしたのは、臣道連盟と呼ばれる組織で、日本の敗戦を認めないばかりでなく「日本敗戦の偽情報」を阻止しようとした。そのため、必要があれば日本の敗戦を信じる日本人を迫害、あるいは殺害することも辞さないというものであった。
臣道連盟は、ブラジル社会でも大きな問題となった。「勝組」と見なされる者は、警察に逮捕され、拷問にかけられた。DOPS(政治社会秩序庁)の秘密調査部は、臣同連盟の賛同者であるかどうかを見分けるために、天皇の踏絵まで復活させ、最も神聖な尊敬に値するシンボルを踏ませることを強要した。
臣同連盟が活動した13カ月に、ブラジル人を含む23人が殺害され、146人が負傷、3万人の日本人がこの集団と関係があったとの容疑をかけられ調書を取られた。