ブラジル発見「陸地が見えたぞ」
[エリカ・コバヤシ]
500年前、このフレ−ズでペドロ・アルバレス・カブラル船団の水兵たちがブラジル発見を告げた。
1500年4月22日、13隻のカラベラ帆船の乗組員約1400人は、ブラジル東北部、現在のポルト・セグーロ市(バイア州)に位置する地点に上陸した。
インドを目指し、3月にポルトガルを出発したペドロ・アルバレス・カブラルは、約1カ月後、偶然にブラジルの地を踏んだ。当初の航路はアフリカ大陸の沿岸に沿って南下し東洋へ出て行くという計画だったが、カブラルは大西洋の海流を有効に利用する事を考え、航路を西へとった。その結果、ブラジル発見にたどり着いたのだ。
これが歴史上の公式発表である。公式と言うのは、ブラジル発見について歴史家たちの間で異議を唱える者があるからだ。すなわち、多くの歴史家たちはカブラルがポルトガルを出発する際、ブラジルの所有権を確定させる目的を持っていたと言うのである。1494年にスペインと取り交わされた世界(南米)を両国で2分するというトルデジーリャ協定を遂行するためのものであった。強く主張されるこの説の根拠は、ほかのポルトガル航海士たちの報告書に、この「発見」以前、すでにブラジルを訪れている事実が記録されているからだ。
カブラル隊の先遣隊は海岸に8人ほどの薄黒い肌をした男たちを見かけた。頭髪は滑らかで骨を顎(あご)に通して飾りにしていた。弓矢を持っていたが平和的な種族であったという。
ブラジル初のミサは4月26日の日曜日、エンリッケ・コインブラ修道士によって取り仕切られた。修道士は、ヴェーラ・クルースと名付けられたこの島の中央に天幕を張り祭壇を作った。4月28日に行われたミサでは、丸太で十字架を作った。その光景は20世紀、ヴィクトル・メイレーレスによって描かれている。
次の探検隊は翌1501年に到着し、国名の由来となったパウ・ブラジルと呼ばれる赤色の木材の伐採を始めた。ポルトガル人は1503年にブラジルに渡っているが、1530年になって初めてマルチン・アフォンソ・デ・ソウザが派遣されて沿岸の開発を始めた。これが植民地時代の幕開けである。
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ペロ・ヴァス・デ・カミンニャの手紙
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この手紙はカブラル船団に書記として加わっていたペロ・ヴァス・カミンニャが1500年5月1日に書いたもので、新しい陸地と原住民(インディオ)について書かれてある。
「彼等の容貌は、薄黒く少し赤みがかった形の整った顔をしている。何も着ずに裸で歩いているが、まったくそれを気にしていないし、顔を見せるのと同じように恥ずかしがらない。これについては無邪気とでも言えるだろうか。下唇に穴を開け、手のひらほどの長さで先の尖った骨を通している。話すにも、食べたり飲んだりするにも邪魔にならないようにはめられている。
彼らの毛髪はなめらかである。短く刈り取られ、耳の上まで剃ってある。中には、黄色い鳥の羽をふんだんに使ったカツラの様な物で、うなじから耳まで覆っている者もいた。また、しっかり立つように丁寧に作られた鳥の羽飾りをさしていた。彼らが訪ねて来た時、キャプテンはじゅうたんに置かれた椅子に腰掛けていて、正装をして首に大きな金のネックレスをかけていた。サンチョ・デ・トヴァ−ル、シモン・デ・ミランダ・ニコラウ・コエ−リオ・アイレス・コレーアと我々船団の人間はじゅうたんに直に座った。たいまつが灯り、彼らが入ってきた。何の挨拶もなく、キャプテンをはじめ、他の誰にも声をかけなかった。その中の一人がキャプテンをみつめ、右手で地面を指すと、次にネックレッスを指し、この地にも金があると言うような素振りをした。また銀の燭台を見て、再び燭台と地を指差し、この地にも銀があると言いたい素振りを示した。」
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