【作家紹介】マシャード・デ・アシス

小説家、詩人、演劇作家、エッセイスト、ジャーナリストと様々な顔を持つ、ブラジル人アーティスト。
1839年6月21日リオデジャネイロで、工員の父フランシスコ・ジョゼと母レオポルジーナの間に生まれる。リオのリブラメント地区で育った彼は幼年期から青年期の間に母を亡くし、貧しさから学校に行かず、ランパドーザ教会でミサの手伝いなどをしていた。独学で身につけた知識を基に16歳にも満たないころ、マモータフルミネンセ紙の1855年1月12日号に自身の詩“エーラ(Ela/彼女)”を発表。その翌年には、国営新聞社に印刷工見習として入社。そこで、後に彼の保護者代わりとなるマヌエル・アントニオ・デ・アルメイダと知り合う。1859年にはコヘイオ・メルカンチル紙の校正および記者の仕事をし、1960年にはジアリオ・デ・リオデジャネイロ紙の編集に携わった。そのころにはエスペーリョ誌に劇の批評も書いていた。1860年12月16日から少なくとも1875年の7月4日まではア・セマーナ・イルストラーダ誌向けに記事を書いた。また、ジョルナル・ダス・ファミリアス紙には短編小説を発表している。
彼の最初の長編小説、レスヘイソン(Resurreisão/蘇生)が刊行されたのは1872年。その直後には農業・貿易・公共土木事業省国務局によって第一仕官に任命され、役人の仲間入りを果たした。1884年には現在のグローボ紙に当たるキンチーノボカイウーバ紙に、小説アマーオ・イ・アルーバ(A mão e a luva/手と手袋)を発表、このころから新聞社や雑誌向けにエッセイ、誌、短編・長編小説を次々に書き、後にそれらを本にまとめて出版した。1908年9月29日に亡くなるまでに、30冊以上の作品を世に送りだしている。 1943年にはブラジルでマシャード・デ・アシス賞が設立された。日本語に翻訳されている本にドン・カズムーロ、学校物語、マシャード短編選などがある。