2007年6月22日
百年の変化−日系農業者の減少
[エルデル・ホリカワ/NB]
笠戸丸が初めてブラジルの港にいかりを下ろしたころに比べ、現在の日系社会は大きく変わっている。最も大きな変化が見られるのは、農業従事者数の減少だ。1958年に43万人いた移民とその子弟のうち44.9%は農業地域に住んでいたが、110万人台になった1980年には2.41%まで落ち込んだ。
サンパウロ人文科学研究所の調査によれば、20年前には約11%の日本移民とその子弟が農業に従事していたのが、現在ではその数字は7%から8%台で推移していると報告している。
注目すべきは、ここ近年の日本移民およびその子弟の農業従事者人口が減少傾向にあるということだ。「仕事に対して計画的、献身的という優れた文化を持つ日系人の農家の方は、いわば傑出した存在です。しかし、彼らの多くは自分の子どもの教育について常に悩んでいました。例えば農家の子どもが医者やエンジニアを目指して良い大学を卒業したら、彼らが再び農地を耕すために戻ることは大変難しいといえるでしょう」とフェデラル・デ・ビソーザ大学(ミナスジェライス州)のカルロス・セジヤマ学長は語る。同大はブラジルにおける農業大学の中でもレベルの高い大学だ。
さらに労働力が都会に流出してしまう農村の過疎化の問題もある。政府からの援助が足りないことも過疎化に拍車を掛けている。最近では農業を営む生活に嫌気が差し、デカセギとして日本に出てしまうケースも多い。
サンパウロ州は、農業の歴史的見地から見て日系ブラジル人農家個数の減少の良い事例である。農村協会会長の井出勇一氏が述べるように、1909年から日本移民は都市部近郊での耕作を始め、農業組合の調査では、現在大サンパウロ圏の27市に広がっている。その一方で、農家が農村協会に加盟しているは、600戸のみと報告している。
10年前と比較してその数は減少しつつあるものの、現在でも日系ブラジル人農家はブラジル農業において多大な貢献を果たしている。その中でもリオグランデドノルテ州モッソロー市のメロン、バイーア州ジュアゼイロ市のぶどう、同州エウナーポリス市のパパイア、ミナスジェライス州アラグアリ市のトマト、同州サン・ゴタルド市のニンジン、モンテ・カルメロ市のコーヒーが有名である。