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カーニバルちょいかじり

カーニバルちょいかじり

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各サンバ・グループの山車がカーニバルを彩る。

 1年に1度、享楽の嵐がブラジルを席巻する。毎年、ブラジル各地で行われるカーニバル(カルナバルCarnaval)は、ブラジルが世界に誇るエンターテインメントだ。

 謝肉祭を意味するカルナバルは、カトリックの伝統的な宗教行事「四旬節(しじゅんせつ)」の前に世界中のカトリック圏で行われている。宗教行事と関係がありながら、現在では観光化されているものが多く、ブラジルでは、世界的に有名なリオのカルナバルのほか、国内各地で行われている。復活祭(キリストが復活した日)を基準に日程が決まるため、毎年日程が変わるが、2月中の5日間にわたって行われるのが通常だ。

 リオデジャネイロ市とサンパウロ市には、カルナバル専用のパレード会場があ り、エスコーラ・デ・サンバ(escola de samba)と呼ばれるサンバチームが毎年、それぞれの編隊を組み、熾烈な争いを演じる。まさに一大スペクタクルなのだ。

 カルナバルが開催される5日間、ブラジルはまさしくストップする。カルナバルは、国が定めた休日であり、ブラジル国民にとって最も大切な休日のひとつ。中でも有名なのは、リオデジャネイロ市マルケ−ス・デ・サプカイー通りにあるサンバ専用のサンボードロモ(1984年建設)で行われるサンバ・パレードだ。

 カルナバルの歴史は古い。1641年ジレイタ街でカリオカ(リオデジャネイロ出身の人の意)のカーニバルが、その歴史の第一歩を踏み出したという史実が研究者の一致した意見である。当時、161人の騎馬隊と2台の山車を仕立て、ドン・ジョアン4世(初代ポルトガル王)の即位をイメージしてパレードが行なわれた。こうして生まれたカルナバルは、1933年、ジェツリオ・ヴァルガス大統領時代に公式行事として認可され、政府予算から町の飾り付けやヨ−ロッパの祭りにあるようなコンク−ルなどを模したイベントが企画されるようになった。しかし、この計画は公金を使っても見返りが無かったので徐々に消えていく。その一方で、町の一角で結成されたエスコーラ・デ・サンバと呼ばれるサンバ・グループが政府予算に関係なく、パレードを企画するという現象が起きた。

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ユカさんは、日本人として初めて「カーニバルのシンボル」に選ばれた。

 エスコーラ・デ・サンバのパレードは、リオデジャネイロ市中央のオンゼ広場から始まり、1952年にプレジデンテ・ヴァルガス大通り、1957年から1962年まではリオ・ブランコ大通りに移った。

 サンバのリズムが流行すると、中流カリオカたちもエスコーラ・デ・サンバに加わり、パレードに参加するようになった。山車は年を追うごとに洗練され、規模・装飾も拡大していく。こうして世界的にも有名なリオのカルナバルが生まれたのだ。スペシアル・グループに所属する14のエスコーラ・デ・サンバは、テ−マに基づいて衣装を選択し、振り付けを施し、物語を展開しながらパレードを進行させる。

 カルナバルはリオデジャネイロだけではない。サルバドールでは、トリオ・エレトリコと呼ばれる、荷台に音響装置を施した舞台が設置されたトラックが、アシェー・ミュージックを流し行進する。料金を払った者が参加できるアバダーと呼ばれるグループの後に約2万人の一般参加者が行進する。

 サルバドールのカルナバルも近年モダン化してきた。2006年にはイギリスのロックバンドU2のヴォーカリスト、ボノがジルベルト・ジルとともに歌ったりもした。さらに、同じくイギリス人アーティスト、ファットボーイ・スリムもトリオ・エレトリコに登場した。

 また、サルバドール市観光局は、同市在住の日本人ダンサーのユカ・リバニオさんを2006年のカルナバルのシンボルに選んだ。


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